「コーチの馬鹿!!」
天化は怒りを表しながら怒鳴った。その大きな瞳からは、今にも涙が零れ落ちそうで。
「て、天化…あれは事故なんだよ」
怒鳴られた道徳は、慌てて天化を説得する。しかし、天化は道徳の言葉を聞こうとはしなかった。
「うるさいさ!…もう、コーチなんか知らねぇさ!!」
早朝なのにも関わらず、騒がしい青峰山・紫陽洞。
それには、あまりにも深すぎる理由があった。
-------------------------------------------------
時間を遡ること、数時間前の紫陽洞。そこの主・道徳は、太乙と酒を飲んでいた。
怪我の治療で一旦洞府へ戻ってきた天化は、再び人間界へ下りていってしまい、道徳はあまりに寂しくて太乙を誘ってしまったのだ。
太乙は、それを知ってか知らずか、快くOKした。雲中子も誘ったのだが、弟子の改良で忙しいらしい。…可哀想に。
「太乙…悪かったな。お前も忙しいだろうに」
「何を今更。だったら誘わないでよね」
道徳が言ってすぐに、太乙が言い返してきた。いつものように笑っているので、怒ってはいないらしい。
お猪口に入れた酒を一口飲んでから、太乙は目を細めた。
「ま、いいけど。天化くんが居ない紫陽洞は、静かすぎるもんね」
その発言からすると、やはり道徳が太乙を誘った意図には気づいていたらしい。
やはり、長年友人をやっていると分かられてしまうのだろうか。
「君は分かりやすいんだよ」
突拍子に言い出して、道徳は驚いた。
だってそれは、心の中で思っていたことに対しての答えになっていたから。
「…お前、読心術使ったのか?それとも、心の読める宝貝でも作ったのか?」
不思議そうな顔をして道徳は尋ねたが、太乙は面白そうに笑っただけだった。
「そんなわけないよ。だから、言ってるでしょ?君は分かりやすいって。顔に出てるんだよ、顔に」
「そ…そうなのか?」
思わず、道徳は両手で自分の頬を隠した。
「そう。それに、弟子が封神計画のために人間界へ下りて、その数日後に酒に誘ってくるなんて…バレバレすぎるよ」
「…しょうがないじゃないか。この十数年、あの子とずっと一緒に居たんだ。寂しいのは当然だろう?」
「おまけに、やっと両思いになったばかりだもんね」
分かっている。というように、太乙は微笑んだ。
そう。少し前まで色々あったんだが、晴れて俺達は恋人同士になったばかりだった。
「…こんな時ばかりは、自分が道士じゃないことを恨むよ」
道徳は一口酒を飲んでから、自嘲したように笑った。自分が十二仙…いや、仙人でなかったら、今頃天化と一緒に戦っているだろう。
馬鹿な考えだと思う。けれど、天化が自分の見えない所で戦っていると思うと…そう思わずにはいられないのだ。
「…お前だって、ナタクに逢えなくて寂しいんじゃないか?」
「そうなんだよ!!ナタクー!早くパパのところへ帰っておいでー!!」
さっきまでの酒が回ってきたのか、太乙が突然大声をあげた。酔っ払っているのか、親馬鹿の本性かは分からない。
ただ、その叫びは道徳の奥深くにあった何かを呼び覚ますのに十分だった。
「封神計画の馬鹿野郎ー!俺の天化を返せー!!」
「そうだ!そうだ!私のナタクを返せー!!」
「天化が封神されちゃったらどうするんだ!原始天尊様のアホー!!」
「ハゲジジイー!!」
酒のせいか、二人の叫びはヒートアップするばかりで止まらない。酔っ払いには怖いものなどないのだ。
声が聞こえなくなる頃には、朝日が昇り始めていた。
------------------------------------------------
「うう…」
朝日の光が眩しくて、道徳は目を覚ました。どうやら、途中で眠ってしまったらしい。
机に突っ伏していた体を起こすと、太乙も机に突っ伏して眠っていた。
「太乙」
「んー…?」
ここじゃ寝にくいだろうと、道徳は自分の寝室に太乙を寝かせることにした。
運ぼうとするが、酔っ払いの馬鹿力か、机から離れようとしない。
「太乙、起きろ。寝室貸してやるから寝とけ」
「うー…ナタクー…」
「俺はナタクじゃない……って、おい!」
やっと机から離れたと思ったら、今度は道徳に抱きついてきた。払おうとするが、ビクともしない。
ハァ…と溜息をついてから、そのまま太乙を運ぶことにした。元々鍛えているので、太乙一人運ぶのは苦ではない。
しかし、前から抱きつかれているため、上手く歩けない。そのため、机の脚に引っかかって太乙もろとも床に転げてしまった。
「痛たた………ん?」
体を少し起き上げると、誰かの気配を感じて振り向いた。
そこに居たのは、道徳が恋焦がれていた人物だった。
「て、天化…!」
「………」
数日ぶりに逢えて喜ぶ道徳をよそに、なぜか天化は不機嫌そうに道徳を睨み付けていた。
「どうして帰ってきたんだ?まだ数日しか経ってないのに」
「……忘れ物したから取りにきただけさ」
天化の不機嫌そうな顔に、道徳は首を傾げる。一体、何を怒っているのだろう。
そんな道徳の様子を見て、天化はクルリと背を向けた。
「お取り込み中、邪魔して悪かったさ」
お取り込み中…?道徳の頭に、それが駆け巡る。
とりあえず、今の状況を整理してみよう。
今、道徳の下には太乙が居る(太乙と一緒に倒れてしまったから)
そして、太乙は道徳を抱きしめたまま(ナタクと勘違いしているから)
さらには、二人とも顔が赤い(酔っ払っているから)
この状況を、第3者(天化)から見てみたら………
(俺が……太乙を押し倒しているように見えちゃたりする…?)
見えちゃったりではなく、間違いなく見える。道徳のやや赤かった顔が、一気に青褪めた。
そして、話は戻る。
「天化!ちゃんと聞いてくれ!」
「嫌さ!!……俺っちだって、考えがあるさ!!」
ギロリ、と天化に睨まれ、道徳は蛇に睨まれた蛙のように固まった。
道徳が最も怖いもの。それは、怒った天化だ。
「か、考えって…?」
ビクビクしながら、道徳は天化に尋ねる。すると、天化は意を決したように言った。
「俺っちも浮気してやるさ!!」
「へー…浮気かー……って、えええええ!?」
道徳が驚いている間に、天化はさっさと立ち去ろうとする。
「ちょっ…天化?!」
無理矢理太乙の腕を剥がし、道徳は天化の後を追おうとした。
しかし、ギロリと天化に睨まれ、道徳は立ち止まる。
「…追ってきたら、即、別れてもらうさ」
その言葉に、道徳はその場で立ち尽くすしか出来なかった。
天化の姿が見えなくなっても、道徳はしばらくショックで動けなかった。
「あーあ…やっちゃったねぇ、道徳」
何時間そのままで居たのだろうか。気が付けば陽は高く、寝ていた太乙も起き上がっていた。
「た、太乙…もしかして起きて…」
「意識だけは。だけど体が眠っちゃっててさ〜」
ハハハと笑う太乙に、1発お見舞いしたくなった。
「お前が…お前のせいで……俺は人生最大のピンチに立ってるっていうのに……お前は…」
「まあまあ、落ち着いて」
もう大声をあげて泣いてやろうか。そう思った時、太乙に肩を叩かれた。
顔を上げると、そこには何かを企んでいますという太乙の笑顔が。
嫌な予感がする。俺は、今までの経験から推測した。
「私に、いい考えがあるから」
そう言って、差し出したもの。
それは正しく、1杯のお茶。